新渡戸稲造と近藤 健の不思議な巡り合わせ
札幌の新渡戸稲造居住地跡と曾祖父米良四郎次先妻ツルの死亡場所が合致する件
米良四郎次(しろうじ|1866-1933)は、私の曾祖父である。1889年(明治22)、屯田兵に応召して熊本から札幌の篠路兵村に入植している。
米良四郎次先妻ツル(62歳)は、1925年(大正14)2月15日、「札幌区北3条西1丁目2番地」(当時の住居表示)で亡くなっており、長男米良義陽(40歳)が届け出を行っている。この場所は、長女栄女(1889年(明治22)生、37歳)の後夫佐藤政之丈(1915年(大正4)婚姻届出)の本籍地である。
現在のANAクラウンプラザホテル札幌(旧全日空ホテル)の住所は「札幌市中央区北3条西1丁目2番9号」である。かつてここには札幌農学校の官舎が4棟(北3西1~2)あった。1981年(明治24)に札幌農学校の教授として着任した新渡戸稲造夫妻は、3号官邸(北3西2)に住み、1983年11月には1号官邸(北3西1)に転居し、1897年(明治30)に札幌を離れるまでここで暮らした。
その後、1896年に有島武郎が札幌農学校に編入してきて、新渡戸稲造宅に寄宿し、新渡戸が去った後も1901年(明治34)までここにいた。
札幌農学校の官舎がいつまであったのか。少なくとも1901年まではあったことになる。米良ツルの長女栄女の後夫佐藤政之丈が、いかなる人物であったかはまったくもって不明である。ただ、住居表示がドンピシャであることだけは確かだ。
米良家の後裔としては、この土地がどのような変遷を経て旧全日空ホテルになったのかも気になるところだ。
いずれにせよ、私は曾祖父米良四郎次の後妻(妾)の家系であるため、先妻のその後はまったくもって不明なのである。
※また、『肥後藩参百石 米良家』における関係ページは、次の通りである。P94、P218、P277、P288、P320、P321
近藤 健
札幌農学校が提供した新渡戸稲造の校宅
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