随筆春秋でもDTPを内製化!


「日本のDTP事始め」(つまり印刷のコンピュータ化の話)


朝日新聞の社屋が有楽町から築地へと移転したのは、私が社会人となる少し前だった。そして、その新しい社屋の水道管を提供したのが、数年後に私が就職することになる会社であった。 

その会社では建材部門が、新しく、ステンレス製の水道管を開発した。それまでは、水道管といえば、亜鉛メッキを施した鉄管などが多く使われていた。ステンレス製の水道管は、強度もあり錆にも強いという優位性を持っている。

一方、朝日新聞では、築地の新社屋で新たにDTP※が導入された。印刷の前段階をすべて机上のコンピューターで行うというものだ。1980年のことだった。

※DTPとは、デスクトップ パブリッシングの略

築地の朝日新聞東京本社(Wikipediaより)


ところが、朝日新聞が築地に移転した途端、東京は大地震に見舞われ、その結果、丈夫なはずのステンレス製水道管が外れ、肝心なコンピューターは水浸しになってしまった。職員は復旧を試みたが、それらを正常に動かすことは結局できなかった。 

朝日新聞では急遽、職人衆を呼び戻し、有楽町の旧社屋で従来の印刷を再開し、なんとか急場を凌ぐことができた。 

その後、日本では徐々にDTPが普及し、印刷と製本の前段階をすべて机上のコンピューターで行うようになった。 

ちなみに私が子供のころは、印刷といえば「凸版印刷」が普通だった。 小さな四角柱(ビレット)の先に活字が彫ってあり(金属活字)、それらを木枠に収めて紙面をつくり ―― この作業を「植字」(しょくじ)という ―― 、そこにインキを塗って、それを用紙に押し当て、印刷するという方法である。 

現在も、凸版印刷、という社名の会社があるのをご存じだと思う。 


2022.04.28
正倉一文


金属活字。Wikipediaと活字を組んでいる。(Wikipediaより)


DTPの様子。(株式会社新晃社のリクルートサイトより)




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作成者|随筆春秋事務局 正倉一文

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