近藤 健と池田 元

 随筆春秋の池田 元は、愛媛県松山市の出身である。祖母方の先祖は代々、藩の剣術指南役を務めている。元禄時代には、赤穂浪士である堀部安兵衛(ほりべやすべえ)と不破数右衛門(ふわかずえもん)が切腹した際の「介錯人」(かいしゃくにん)を務めた。その先祖の名を荒川十太夫(じゅうだゆう)という。
 介錯人を務めるというのは、当時では大変名誉なことであった。そのエピソードは、講談「荒川十太夫」や、浪曲「ほまれの三百石」で、今も語り継がれている。
 そのことを知ったイラストレーターのもりいくすお先生が、荒川十太夫を描いている。モデルは、テレビでこの役を演じた俳優の渡辺 謙である。
 このもりいくすお先生との縁がきっかけで、池田は赤穂浪士の子孫や関係者、歴史研究者らと知己を得た。最下段の写真中央は、堀部安兵衛の従兄(いとこ)である佐藤條右衛門(じょうえもん)の子孫にあたる佐藤 紘さんである。右が、堀部安兵衛の父、弥兵衛(やへい)の介錯人で熊本藩士の米良市右衛門(めらいちえもん)の子孫にあたる近藤 健だ。近藤は現在、同人誌 随筆春秋の代表を務めている。
 池田は忠臣蔵を愛するイラストレーター・もりいくすお先生の知人で(荒川十太夫が結ぶ縁)、佐藤誠(歴史家)の知人でもあった。そのもりい氏池田を連れて、佐藤氏近藤を連れて(佐藤と近藤は歴史書で共著)、はじめて引き合わされたのは、中野区上高田にある吉良の菩提寺・萬松院功運寺だった、という。
 池田が随筆春秋に入ったのは、この近藤の勧めがあったからである。池田は現在、一般社団法人随筆春秋の代表理事を務めている。池田と近藤を最初に引き合わせたのは、歴史研究家佐藤 誠である。佐藤は日本近世史、特に赤穂事件のエキスパートとして名高い個人研究家だ。
 余談になるが、近藤がその佐藤とともに東京の街を散策したことがあった。佐藤は江戸の古地図を熟知しており、近藤はその時の様子を正倉宛てのメールの中で「目の前に江戸の街が蘇ったかのような錯覚に陥った」と記述している。

 了

 2021.02.04

 正倉一文


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 ※もりいくすお先生の許可を得て、以下のイラストを掲載しています。


もりいくすお 作「荒川十太夫」(モデル / 俳優 渡辺 謙)


介錯(かいしゃく)の様子

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フリー百科事典Wikipediaより


2人の介錯人の子孫に挟まれる佐藤 紘さん

(佐藤さんは首を斬られた安兵衛の末裔)

左が池田 元、中央が佐藤 紘さん、右が近藤 健




随筆春秋資料室

作成者|随筆春秋事務局 正倉一文

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